歴  史 3



 土器棺  土師器(はじき)
 イザ原1号墳
  高48cm
死者を埋葬する棺に壷や甕などの土器を使う。倉吉地方では、古墳時代に他地域に比べ美しく飾られた大型の棺が数多くつくられる。土器棺墓は、古墳の中心的な埋葬施設ではなく、周溝内などにつくられる場合が多い。イザ原1号墳例も古墳周溝内から検出された大型の土器棺である。
弥生土器の伝統を引く素焼きの土器。装飾性の少ない機能美ある土器である。弥生時代後期に出現した山陰特有の二重口縁の甕はさらに発展し、胴膨らみで丸底化がすすむ。
4世紀代には倒卵形の薄手の土器として頂点をむかえるが、5世紀後半代になると簡略化された形態となる。

 

 重文 装飾子持壷付装飾器台  須恵器(すえき)
 野口1号墳  
 高49.5cm  
 古墳に供えられた埋葬儀礼用の土器。器台に壷を捧げのせた状態を一体化して表現している。壷には、飾り馬に乗って鹿を追う貴人・相撲を取る二人・琴を弾く人物を小壷の間に配置する。器台の緑には、羽を広げて飛びたとうとする鳥の姿態を5羽で表す。            
古墳時代の中頃に朝鮮半島から伝えられた技術を用い、窖窯で焼かれた土器。千度以上の高温で焼かれるため堅く焼きしまった灰色の硬質土器である。土師器が主に日常雑器として使われたのに対し、須恵器は古墳の副葬品などに用いられ、はそう・横瓶などの須恵器独特の器形もみられる。

 

 県指定 人物埴輪  県指定 鹿埴輪  家形埴輪 (a b c)
 中西  向山142号墳  北面古墳群
 高38.5cm  高55cm  a高37.2cm、b高35.5cm、c高70.8cm
 人物埴輪は、形象埴輪のなかでも家形や器財埴輪などよりも遅れて出現する。中西出土品は、鎧・兜に身をつつんだ武人像である。髪を美豆良に結い、ネックレスをつけている。顔面には朱と緑の顔料を放射線状に塗る。埴輪に緑の彩色が施されるのは大変珍しい。
 全体にどっしりとした感じがあるが、顔を少し斜めに傾け、目もとのやさしい愛らしい顔をした鹿埴輪である。角をもつ雄鹿。塗彩された赤色顔料のあとが残る。同じ古墳からは他に鶏形埴輪も出土している。動物埴輪は県内で10体以上出土しているが、鹿は本例を含め4体ある。
 埴輪のなかでは比較的早く出現する。家の大小や棟飾りなどで母屋・副屋を区別し墳丘上にならべられる。
aは入り母屋式建物。
bは切妻式建物。
Cは寄棟式の大型建物で、
大棟に堅魚木(かつおぎ)をのせている。
いずれも、全体に丹塗りする。

 

c e g
b d f
a
 円筒埴輪(a)・童形埴輪(b〜f)・朝顔形埴輪(g)
 a・g小林1号墳、b〜f家ノ上古墳
  a器高35cm b〜f器高38〜41cm g器高47cm
 壷形埴輪・円筒埴輪は、吉備地方における弥生時代後期の首長墓に供えられた特殊壷と特殊器台が変化したものである。特殊壷が壷形埴輪として表現され、特殊器台は円筒埴輪に変化する。そして両者が合体したものが朝顔形埴輪となる。